第3集 敦煌 には作家の井上靖氏が登場されました!![_c0033636_11461959.jpg]()
番組では井上氏の詩を宇野重吉さんが朗読する場面が数か所あり、
久しぶりに耳にする宇野節にうっとり。
そもそも私が中国語を学ぼうと思ったきっかけは井上氏の「敦煌」を読んで、
いつか敦煌に行きたい、その日に備えて少しは勉強しておこうと
思ったからでした。
しかし今となっては小説「敦煌」の内容をほとんど覚えていない、
ということに我ながら驚いてしまいます:笑
そんな私が実際に敦煌に行ったのは1982年の6月24日~7月4日です。
ひょんなことでご縁をいただいた仏教学者のひろさちや先生が、
敦煌への訪問許可が出たので内輪の旅行を計画しているからと
お誘いを下さったのでした。
この頃になるとやっとパックツアーが認可されて
敦煌を訪問するツアーも出始めた頃でしたが、
ひろ先生の解説付きという特別な旅に魅力を感じて加えていただきました。
上海⇒蘭州⇒酒泉までは飛行機で。
当時はまだ敦煌に空港がなかったので、
「夜光杯」で有名なオアシスの町酒泉から
冷房のないバスで延々数時間かけてたどり着いたのですが、
その途中の砂漠で、一休みしたときに拾った石がいまも手元にあります。
![_c0033636_23361233.jpg]()
この敦煌への旅のアルバムも見当たらないので当時の写真はありません。
それでも今も思い出すのは石窟の中でお聞きしたひろ先生のお話と、
ご一緒した僧侶の方々の般若心経でした。
響くんですよ~、石窟の中なので。
それから確か中国国際旅行社の上海地区代表という要人が、
視察を兼ねて同行されたため私たちもいろいろと優遇されました。
この要人は飛行機や宿はご一緒しましたが、
それ以外はちゃんと国際旅行社の業務を視察されていたようで
観光や食事には同席されなかったので私たちは気楽でした。
ただ敦煌のホテルに着いたときホテルの要人への忖度で、
風呂付の部屋を私たちの一行が独占してしまったらしく、
後から着いた近ツリかJTBかのパックツアーの方々から苦情が出て、
ツアコンの方から懇願されて2~3の部屋を代わってあげました。
帰りは、敦煌最寄りの「柳園」から寝台列車で上海まで戻りました。
その列車の2日目だったか、
要人から「なにか不満はありませんか?」との質問があり、
誰かが「食事内容がが少し物足りない」との声に大きく頷くと、
その晩からすぐに改善されました!
私は密かに「お坊さんでも食事に不満をもつのか」と驚きました。
それと檀家さんへのお土産を大量に買われていたのも忘れられません。
拾った石以外に手元に残る敦煌の記念品はこちら。詳しくは経堂観音の真実で。
![_c0033636_23371936.jpg]()
今となっては小説「敦煌」をもう一度読むのはしんどいので、
井上氏の「遺跡の旅・シルクロード」を購入しました。
![_c0033636_11491283.jpg]()
58歳にして初めてソ連領中央アジアに旅し、青年時代からの夢を果たしたのが昭和40年。以来、著者は憑かれたようにシルクロード地帯を訪れる。53年、名作『敦煌』を発表してから20年を経てその舞台に立つ。55年、ヘディン、スタイン以後、外国人として初めて西域南道に足を踏みいれる。――本書は、〈絹の道〉の栄光の歴史のあとを経巡った15年間の旅の記録である。写真多数。
まだ敦煌の部分を読んだだけですが、
今回の番組のテキストとしても楽しめそうです。

番組では井上氏の詩を宇野重吉さんが朗読する場面が数か所あり、
久しぶりに耳にする宇野節にうっとり。
そもそも私が中国語を学ぼうと思ったきっかけは井上氏の「敦煌」を読んで、
いつか敦煌に行きたい、その日に備えて少しは勉強しておこうと
思ったからでした。
しかし今となっては小説「敦煌」の内容をほとんど覚えていない、
ということに我ながら驚いてしまいます:笑
そんな私が実際に敦煌に行ったのは1982年の6月24日~7月4日です。
ひょんなことでご縁をいただいた仏教学者のひろさちや先生が、
敦煌への訪問許可が出たので内輪の旅行を計画しているからと
お誘いを下さったのでした。
この頃になるとやっとパックツアーが認可されて
敦煌を訪問するツアーも出始めた頃でしたが、
ひろ先生の解説付きという特別な旅に魅力を感じて加えていただきました。
上海⇒蘭州⇒酒泉までは飛行機で。
当時はまだ敦煌に空港がなかったので、
「夜光杯」で有名なオアシスの町酒泉から
冷房のないバスで延々数時間かけてたどり着いたのですが、
その途中の砂漠で、一休みしたときに拾った石がいまも手元にあります。

この敦煌への旅のアルバムも見当たらないので当時の写真はありません。
それでも今も思い出すのは石窟の中でお聞きしたひろ先生のお話と、
ご一緒した僧侶の方々の般若心経でした。
響くんですよ~、石窟の中なので。
それから確か中国国際旅行社の上海地区代表という要人が、
視察を兼ねて同行されたため私たちもいろいろと優遇されました。
この要人は飛行機や宿はご一緒しましたが、
それ以外はちゃんと国際旅行社の業務を視察されていたようで
観光や食事には同席されなかったので私たちは気楽でした。
ただ敦煌のホテルに着いたときホテルの要人への忖度で、
風呂付の部屋を私たちの一行が独占してしまったらしく、
後から着いた近ツリかJTBかのパックツアーの方々から苦情が出て、
ツアコンの方から懇願されて2~3の部屋を代わってあげました。
帰りは、敦煌最寄りの「柳園」から寝台列車で上海まで戻りました。
その列車の2日目だったか、
要人から「なにか不満はありませんか?」との質問があり、
誰かが「食事内容がが少し物足りない」との声に大きく頷くと、
その晩からすぐに改善されました!
私は密かに「お坊さんでも食事に不満をもつのか」と驚きました。
それと檀家さんへのお土産を大量に買われていたのも忘れられません。
拾った石以外に手元に残る敦煌の記念品はこちら。詳しくは経堂観音の真実で。

今となっては小説「敦煌」をもう一度読むのはしんどいので、
井上氏の「遺跡の旅・シルクロード」を購入しました。

まだ敦煌の部分を読んだだけですが、
今回の番組のテキストとしても楽しめそうです。