もうずいぶんと時間が経ってしまいましたけれど、
うつわ菜の花で開催されていた熊谷さんの個展に行ってきました。
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伺ったのは10月24日・最終日、熊谷さんにお会いするのが目的でした。
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でもいざとなったら「面倒くさい虫」がザワザワし始めたところに、
denさんから「小田原旅、行こうと思います」と一報が。
がぜんスイッチが入ってバタバタと家事を片付けてお出かけしました。
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彼の焼く縄文土器は飯碗ともつかず、茶碗ともつかない。どちらにも使える。だが滲みやすいし、ひびも入りやすいし、割れやすい。それがいい。かつて、人が亡くなると使っていた茶碗を割ったそうである。長持ちするのが良いとされるのは、使える奴がエライ、と人間にも優劣をつけることにもつながると話していた。おもしろい。深い話である。彼にとって縄文土器が彼の求めている生き方そのものであり、楽しくかたくなに作っている。我々の日常に失われていることを思い出しに来てください。 たかはしたいいち
自分は「土」を見せたい、と熊谷さんは言う。
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土という形のないものを、土のなりたいように手を添えて形を作り、
焼くことによって形が定まり「土」を見せることができる。
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そのために大きさということから離れた。
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轆轤をまわしているともっと伸びたいと土が言っていても、
7寸ならここまでと規定の大きさで止めてしまうことがある。
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逆に「もうここまで」と土が言っていても既定の大きさに足りないと
無理に伸ばしてしまうこともある。
それはなにか気持ちが悪い、そこでトンボを捨てたと笑う。
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タイトルに「熊谷幸治の縄文土器」ってつけてもらったけど、
いま興味があるのは土師器や須恵器なんですって。
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土師器(はじき)と須恵器(すえき)
土師器は弥生土器から進化して古墳時代から登場し、須恵器は古墳時代中期に朝鮮半島から技術が伝来して誕生した。
土師器は「覆い焼き」という手法で、低い温度で焼かれ赤っぽい色味で薄手だが、須恵器は1000度以上の高温の窯で焼かれ青灰色っぽい色味で硬い。
土師器は主に煮炊き用・食器用で、須恵器は貯蔵や祭事用に使用されていた。
今日は「あれ」を作ろうと轆轤に向かうけれど、
出来上がるものは必ずしも「それ」にはならないことが多い。
とにかく土まかせ。
私がどちらのお皿にしようかなと比べていたら、
用途から離れて好きな方を選べばいいですよ。
使わなくても時々手に取って愛でてくれればそれでいい、と。
「用の美」っていうけど「美の用」だと思うとも。
美しい(と感じる)ものには「在る」という「用」が備わっている、
ということなのだろうか。
私が熊谷さんの作るものに惹かれるのは「土を見せたい」という
ところにあると思う。
私はやっぱり素材が一番好き、布でも焼き物でも。
素材の魅力を存分に引き出してくれる作家さんに惹かれる。
*2012年の対談ですが、ご参考までに。
⇒土器というモノサシ(2012年10月)
*動画で語っている熊谷さんはこちら(同じく2012年のもの)
⇒熊谷幸治 人面土器展
動画から9年経ってもあまり風貌に変化はありません。
野焼きを始めた理由が「窯を買うお金がなかった」って愉快。
いまは電気窯も持っているそうですけど。
今回私が買ったお皿は磨いて蜜蝋で仕上げたものなので実用的です:笑
碗は素焼きのままなので自分で育ててみようと思います。
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最終日の午後に伺ったので、貸し切り状態でたっぷりお話を聞けて
denさんも(親方も)私も大満足なひと時でした。
思えばdenさんに初めて会った時が、私が熊谷さんの作品に
初めて触れたときでもありました。
それはdenさんが2013年の「工房からの風」に初出展されている時で、
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布の上に置いてあった石のような熊谷さんの作品を、
私はずっと手にして話しこんでいたので、
denさんは、私と話をしながらも石を持って行かれるんじゃないかと
しっかり見張っていたらしい、です:笑
そんなdenさんと一緒に熊谷さんの作品を愛でながら
たくさん話が聞けてとても楽しかった。
またどこかでご一緒しましょう♬
うつわ菜の花で開催されていた熊谷さんの個展に行ってきました。

伺ったのは10月24日・最終日、熊谷さんにお会いするのが目的でした。

でもいざとなったら「面倒くさい虫」がザワザワし始めたところに、
denさんから「小田原旅、行こうと思います」と一報が。
がぜんスイッチが入ってバタバタと家事を片付けてお出かけしました。

彼の焼く縄文土器は飯碗ともつかず、茶碗ともつかない。どちらにも使える。だが滲みやすいし、ひびも入りやすいし、割れやすい。それがいい。かつて、人が亡くなると使っていた茶碗を割ったそうである。長持ちするのが良いとされるのは、使える奴がエライ、と人間にも優劣をつけることにもつながると話していた。おもしろい。深い話である。彼にとって縄文土器が彼の求めている生き方そのものであり、楽しくかたくなに作っている。我々の日常に失われていることを思い出しに来てください。 たかはしたいいち
自分は「土」を見せたい、と熊谷さんは言う。

土という形のないものを、土のなりたいように手を添えて形を作り、
焼くことによって形が定まり「土」を見せることができる。

そのために大きさということから離れた。

轆轤をまわしているともっと伸びたいと土が言っていても、
7寸ならここまでと規定の大きさで止めてしまうことがある。

逆に「もうここまで」と土が言っていても既定の大きさに足りないと
無理に伸ばしてしまうこともある。
それはなにか気持ちが悪い、そこでトンボを捨てたと笑う。

タイトルに「熊谷幸治の縄文土器」ってつけてもらったけど、
いま興味があるのは土師器や須恵器なんですって。

土師器(はじき)と須恵器(すえき)
土師器は弥生土器から進化して古墳時代から登場し、須恵器は古墳時代中期に朝鮮半島から技術が伝来して誕生した。
土師器は「覆い焼き」という手法で、低い温度で焼かれ赤っぽい色味で薄手だが、須恵器は1000度以上の高温の窯で焼かれ青灰色っぽい色味で硬い。
土師器は主に煮炊き用・食器用で、須恵器は貯蔵や祭事用に使用されていた。
今日は「あれ」を作ろうと轆轤に向かうけれど、
出来上がるものは必ずしも「それ」にはならないことが多い。
とにかく土まかせ。
私がどちらのお皿にしようかなと比べていたら、
用途から離れて好きな方を選べばいいですよ。
使わなくても時々手に取って愛でてくれればそれでいい、と。
「用の美」っていうけど「美の用」だと思うとも。
美しい(と感じる)ものには「在る」という「用」が備わっている、
ということなのだろうか。
私が熊谷さんの作るものに惹かれるのは「土を見せたい」という
ところにあると思う。
私はやっぱり素材が一番好き、布でも焼き物でも。
素材の魅力を存分に引き出してくれる作家さんに惹かれる。
*2012年の対談ですが、ご参考までに。
⇒土器というモノサシ(2012年10月)
*動画で語っている熊谷さんはこちら(同じく2012年のもの)
⇒熊谷幸治 人面土器展
動画から9年経ってもあまり風貌に変化はありません。
野焼きを始めた理由が「窯を買うお金がなかった」って愉快。
いまは電気窯も持っているそうですけど。
今回私が買ったお皿は磨いて蜜蝋で仕上げたものなので実用的です:笑
碗は素焼きのままなので自分で育ててみようと思います。

最終日の午後に伺ったので、貸し切り状態でたっぷりお話を聞けて
denさんも(親方も)私も大満足なひと時でした。
思えばdenさんに初めて会った時が、私が熊谷さんの作品に
初めて触れたときでもありました。
それはdenさんが2013年の「工房からの風」に初出展されている時で、

布の上に置いてあった石のような熊谷さんの作品を、
私はずっと手にして話しこんでいたので、
denさんは、私と話をしながらも石を持って行かれるんじゃないかと
しっかり見張っていたらしい、です:笑
そんなdenさんと一緒に熊谷さんの作品を愛でながら
たくさん話が聞けてとても楽しかった。
またどこかでご一緒しましょう♬