ふとしたきっかけで読み始めた内田洋子さんの著作。
3冊目の「ロベルトからの手紙」は少々ほろ苦い話が集められている。
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先日の午前中、その中の『20分の人生』という一編を読んだ。
ミラノに住んでいる著者が信号待ちをしていると
一人の老女に声をかけられる。
一緒に道路を渡って欲しいというのだ。
広場の向こうまで行きたいけれど、
それには信号を6か所も渡らなければならない。
それぞれの信号は連動していないので、
すべてを渡りきるには著者の足でも10分以上かかる。
足元のおぼつかない老女には途中で信号が変わってしまって
道路に取り残されてしまうのではという不安がある。
だから一緒に渡って欲しい。
言葉は丁寧だけれどそれはお願いではなくて司令のようなもの。
老女の脇を抱えるようにして一緒に道路を渡りきるまでの
その20分間に聞いてしまった83年の老女の人生…
というのがその内容なのだ。
***** *****
その日の午後、私はManbowの付き添いで湯河原の病院にいた。
待ち時間を持て余してバッグから本を取り出したところで
ふと後ろの席の会話が聞こえてきた。
入院患者と福祉関係の方の会話のようだ。
入院の経緯などの問答をしていた。
9月の初めに腰を打って動けなくなり救急車で小田原の病院に運ばれた。
ひと月ほどして、以前から通院していたこの病院に空きが出たので転院した。
現在は湯河原で1人暮らし、娘が小田原に住んでいるという。
「息子は亡くなりましたので」という言葉を聞いて、
思わず振り向いて会話の主を確かめてしまった。
パジャマの上にカーディガンを羽織った車椅子の小柄な老女と、
紺のスーツを着た50代くらいのベテランSW(ソーシャルワーカー)だろうか。
「まぁそれはそれは…」などというやり取りがあって、
入院生活での細々としたことや認知症のテストなどが続いた。
毎日、午前と午後に40分づつのリハビリをしていること、
暇な時間はテレビは見ない、パズルが好きなので
「そんなお年で」とよく言われるけど『数独』をしている。
トイレや洗面所への移動は看護師に車椅子で連れて行ってもらう。
夜中にトイレへ行きたくなっても看護師を呼ばなければならないのが
申し訳なくて…それも2回も行きたくなるので…
「看護師さんはお仕事ですからね。我慢して具合が悪くなっては困りますから、遠慮しないで呼んだ方がいいですよ」と言われても
「でも、ほんとうに申し訳なくて」と消え入りそうな声で繰り返す。
細々とした長い問答が終わって
「こちらにお名前と生年月日、それから今日の日付を書いてください」
「昭和4年1月○○日」と声に出しながら生年月日を書いているのを聞いて
「えっ、昭和4年ですか、お若く見えますねぇ」と驚くSW。
「はい、もう93歳です」ときっぱり。
「息子は去年の9月16日に亡くなりました」と突然話し始める。
とても優しい子でした。
突然亡くなったので部下の方がみなさん通夜の席に駆けつけて
「局長、局長!」って泣いてくれました。
まだ62歳でした。
でも会社で立派なお葬式をしてくださって。
大きな会場で、焼香台が横一列10個も並んでいるような
立派なお葬式でした。
9月4日に入院してからもうすぐ3か月、
その間コロナでだれにも会えなくてそれがとても辛い。
ごめんなさいね、こんな泣き言を言って。
すっかり話が終わったと思ったら
「私、もうすぐ小田原のリハビリ専門の病院に転院するんですよ。
娘が全部手続きを済ませてくれたみたいで。
でも耳が遠いので病院の名前は聞こえませんでしたけど」と。
SWさんビックリ。
リハビリ計画立て直しか…
「20分の人生」を読んだ日の午後聞こえてきた話。
3冊目の「ロベルトからの手紙」は少々ほろ苦い話が集められている。

先日の午前中、その中の『20分の人生』という一編を読んだ。
ミラノに住んでいる著者が信号待ちをしていると
一人の老女に声をかけられる。
一緒に道路を渡って欲しいというのだ。
広場の向こうまで行きたいけれど、
それには信号を6か所も渡らなければならない。
それぞれの信号は連動していないので、
すべてを渡りきるには著者の足でも10分以上かかる。
足元のおぼつかない老女には途中で信号が変わってしまって
道路に取り残されてしまうのではという不安がある。
だから一緒に渡って欲しい。
言葉は丁寧だけれどそれはお願いではなくて司令のようなもの。
老女の脇を抱えるようにして一緒に道路を渡りきるまでの
その20分間に聞いてしまった83年の老女の人生…
というのがその内容なのだ。
***** *****
その日の午後、私はManbowの付き添いで湯河原の病院にいた。
待ち時間を持て余してバッグから本を取り出したところで
ふと後ろの席の会話が聞こえてきた。
入院患者と福祉関係の方の会話のようだ。
入院の経緯などの問答をしていた。
9月の初めに腰を打って動けなくなり救急車で小田原の病院に運ばれた。
ひと月ほどして、以前から通院していたこの病院に空きが出たので転院した。
現在は湯河原で1人暮らし、娘が小田原に住んでいるという。
「息子は亡くなりましたので」という言葉を聞いて、
思わず振り向いて会話の主を確かめてしまった。
パジャマの上にカーディガンを羽織った車椅子の小柄な老女と、
紺のスーツを着た50代くらいのベテランSW(ソーシャルワーカー)だろうか。
「まぁそれはそれは…」などというやり取りがあって、
入院生活での細々としたことや認知症のテストなどが続いた。
毎日、午前と午後に40分づつのリハビリをしていること、
暇な時間はテレビは見ない、パズルが好きなので
「そんなお年で」とよく言われるけど『数独』をしている。
トイレや洗面所への移動は看護師に車椅子で連れて行ってもらう。
夜中にトイレへ行きたくなっても看護師を呼ばなければならないのが
申し訳なくて…それも2回も行きたくなるので…
「看護師さんはお仕事ですからね。我慢して具合が悪くなっては困りますから、遠慮しないで呼んだ方がいいですよ」と言われても
「でも、ほんとうに申し訳なくて」と消え入りそうな声で繰り返す。
細々とした長い問答が終わって
「こちらにお名前と生年月日、それから今日の日付を書いてください」
「昭和4年1月○○日」と声に出しながら生年月日を書いているのを聞いて
「えっ、昭和4年ですか、お若く見えますねぇ」と驚くSW。
「はい、もう93歳です」ときっぱり。
「息子は去年の9月16日に亡くなりました」と突然話し始める。
とても優しい子でした。
突然亡くなったので部下の方がみなさん通夜の席に駆けつけて
「局長、局長!」って泣いてくれました。
まだ62歳でした。
でも会社で立派なお葬式をしてくださって。
大きな会場で、焼香台が横一列10個も並んでいるような
立派なお葬式でした。
9月4日に入院してからもうすぐ3か月、
その間コロナでだれにも会えなくてそれがとても辛い。
ごめんなさいね、こんな泣き言を言って。
すっかり話が終わったと思ったら
「私、もうすぐ小田原のリハビリ専門の病院に転院するんですよ。
娘が全部手続きを済ませてくれたみたいで。
でも耳が遠いので病院の名前は聞こえませんでしたけど」と。
SWさんビックリ。
リハビリ計画立て直しか…
「20分の人生」を読んだ日の午後聞こえてきた話。