いままで田中昭夫さんを応援してくださったみなさま。
遅ればせながら津田黒幕・けろ参謀による
「田中昭夫活動」が終了したことをご報告いたします。
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詳細はけろ企画⇨田中さんに送った覚書-0
田中さんに送った覚書-1(完)
をじっくりとお読みください。
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私が田中さんにお最後にお会いしたのはそらく2017年の5月の末。
月日荘展の打ち上げの日だったと思います。
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この時はまだいくらか「好々爺」めいた部分もあって、
みんなに会って打ち上げをするのを楽しみにしていたように見えました。
それ以降は、けろちゃんから話を聞いたり、
ブログを読むたびに心が痛みました。
わがManbowも2017年4月の末に脳出血を起こして入院、
リハビリの日々と重なっていましたので、
なんだか他人事には思えない部分もあって、
それまで「できたこと」が「できなくなっていく」ことの辛さを
いくらかは理解していました。
だからせめてもう一度お会いしたいという気持で、
2018年10月2日の岩立フォークテキスタイルミュージーアム(IFM)での
津田千枝子さんによるお話会を楽しみにしていました。
実はこの日、田中さんをサプライズゲストとして登場させようと目論んでいた、
津田さんとけろちゃん。
私も今生の別れかも知れないと思って行きましたが、
田中さんは登場されませんでした。
そのことがずっと心残りで、12月28日という年の瀬に、
ぎぼっち夫妻の上京に合わせて、津田さんと私も川口詣でのはずでした。
ハズでした、が…
これも田中さんの情況で遠慮(というか、拒否)となりました。
この時、私は田中さんと会うことをきっぱりと諦めました。
そもそも「田中昭夫活動」は津田さんとHPEの谷さんが
けろちゃんを参謀として始めたもので(谷さんは遠隔参加でしたが)
私は「なんだか面白そう」と自ら巻き込まれていっただけで、
だれに頼まれたわけでもなかったのです。
兎にも角にも、あれだけの帯や着物や広幅の布を救い出し、
たくさんの方々の手に届けたことは本当に意味のある事だったと、
思います。(⇩写真は「丘の上から通信」さんよりいただきました)
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そしてなによりもこの「活動」を通じて、
多くの方々と知り合いになれたことは、
私にとってはとても幸せなことでした。
津田さんとけろちゃんに感謝の気持ちでいっぱいです。
まぁ、それもこれも「田中昭夫さんの仕事」あってのこと。
ということで、田中昭夫さんに感謝してご報告を終わりにいたします。
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遅ればせながら津田黒幕・けろ参謀による
「田中昭夫活動」が終了したことをご報告いたします。

詳細はけろ企画⇨田中さんに送った覚書-0
田中さんに送った覚書-1(完)
をじっくりとお読みください。

私が田中さんにお最後にお会いしたのはそらく2017年の5月の末。
月日荘展の打ち上げの日だったと思います。

この時はまだいくらか「好々爺」めいた部分もあって、
みんなに会って打ち上げをするのを楽しみにしていたように見えました。
それ以降は、けろちゃんから話を聞いたり、
ブログを読むたびに心が痛みました。
わがManbowも2017年4月の末に脳出血を起こして入院、
リハビリの日々と重なっていましたので、
なんだか他人事には思えない部分もあって、
それまで「できたこと」が「できなくなっていく」ことの辛さを
いくらかは理解していました。
だからせめてもう一度お会いしたいという気持で、
2018年10月2日の岩立フォークテキスタイルミュージーアム(IFM)での
津田千枝子さんによるお話会を楽しみにしていました。
実はこの日、田中さんをサプライズゲストとして登場させようと目論んでいた、
津田さんとけろちゃん。
私も今生の別れかも知れないと思って行きましたが、
田中さんは登場されませんでした。
そのことがずっと心残りで、12月28日という年の瀬に、
ぎぼっち夫妻の上京に合わせて、津田さんと私も川口詣でのはずでした。
ハズでした、が…
これも田中さんの情況で遠慮(というか、拒否)となりました。
この時、私は田中さんと会うことをきっぱりと諦めました。
そもそも「田中昭夫活動」は津田さんとHPEの谷さんが
けろちゃんを参謀として始めたもので(谷さんは遠隔参加でしたが)
私は「なんだか面白そう」と自ら巻き込まれていっただけで、
だれに頼まれたわけでもなかったのです。
兎にも角にも、あれだけの帯や着物や広幅の布を救い出し、
たくさんの方々の手に届けたことは本当に意味のある事だったと、
思います。(⇩写真は「丘の上から通信」さんよりいただきました)

そしてなによりもこの「活動」を通じて、
多くの方々と知り合いになれたことは、
私にとってはとても幸せなことでした。
津田さんとけろちゃんに感謝の気持ちでいっぱいです。
まぁ、それもこれも「田中昭夫さんの仕事」あってのこと。
ということで、田中昭夫さんに感謝してご報告を終わりにいたします。
