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Channel: 布とお茶を巡る旅
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佐藤夫妻、ミャオ族の刺繍と出合う

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「佐藤夫妻、ミャオ族の刺繍と出合う」編はプロフィールへリンクで
済ましてしまおうと思いましたが、
一晩経って、一番大事なことはそこだったのではないかと
思い直して書くことにしました。


佐藤夫妻が常滑に「苗族刺繍博物館」を開くことに至った経緯は、
雅彦氏が1995~97年に北京へ留学したことから始まります。

留学中の96年に、雅彦氏は予てから興味を持っていた貴州省に旅をします。
そしてそこで苗族(ミャオ族)とその刺繍に出合います。
こちらは雅彦氏一押しの衣装。
黄平(ホァンピン)という地域のモノ。
背中一面の蝶はミャオ族の始祖と信じられている。以下写真はすべてクリックすると拡大します。
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そして99年からは北京駐在となり、
ますますミャオ族の刺繍に魅了されていきます。
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一方、大分でテレビのレポーターをしていた瑞代さんは99年に大連に留学。
1年の留学を終えて日本に帰るつもりだった瑞代さんが、
北京で雅彦氏と出合い、ミャオ族の刺繍に導かれます。
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元々古いものや布物が好きだった瑞代さんは、
たちまちミャオ族刺繍の虜となり、その縁で2人は結婚します。
新婚旅行で貴州省に行ったことは想像に難くない、ですね。
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そのころの中国はWTO 加盟が認められ、
海外からの直接投資が大幅に増えていました。
そこで労働力不足が生じ、それまで農村からの移動が制限されていた農民が、
大都市へ安価な労働力として大量に流出し始めます。
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中国で一番貧しいと言われていた貴州省も
あっという間にその波にのまれていきます。
山に囲まれて交通不便な故に貧しく、
それ故に民族伝統の生活様式が守られていたミャオ族の生活も一変します。
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売り物ではない、家族のために作られていた衣服も、
お金を出せば買えるようになり、その現金収入の手段を得たのです。
若い人たちは都市へ出稼ぎに行き、母から娘へ伝えられていた
刺繍の技も渡す相手を失ってしまいました。
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また北京の藩家園という骨董市に大勢の少数民族が、
自分たちの民族衣装などを現金に換えるためにやってき始めました。
私の友人も当時何人かよく通っていましたが、
そのころはほんとうによいものがあったと言います。
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佐藤夫妻のコレクションの多くは、藩家園で懇意になったミャオ族の
人たちから収集したものです。
お話をうかがうとそれは単なるお金を介したもののやり取りではなく、
彼らと食卓を囲み、歌を歌い、酒を酌み交わし、
話を聞き、刺繍を習い…といった深い交流がもたらしたものです。
身を切るような思いで手放す家宝の衣装を手渡す時に、
これほど相応しい相手はいなかったと思います。
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やがて2人はなんとか刺繍の伝統を繋いでほしいと、
貴州省台江に「禾苗刺繍学校」設立します。
そしてその経費捻出のために、北京の自宅にセレクトショップM’s開店し、
ミャオ族の刺繍自慢のおばちゃんを呼んで刺繍鑑賞会や、
刺繍のワークショップを開いたりもしました。
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「禾苗刺繍学校」に関しては、HPでじっくりご覧ください。
涙なしには読めない「中国あるある話」満載です。
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さて佐藤家は2007年に北京駐在も終わりとなり、8月に帰国します。
中部国際空港から名古屋へ向かう列車から見た常滑の街並みに、
瑞代さんの古民家好きの血が騒ぎ、ここに住もう!と決めたとお聞きしました。
2012年4月にいよいよ現在の「苗族刺繍博物館」をオープンさせます。

私のちょっとした自慢はその2012年5月にここをかぎつけて
第1回目の訪門をしたことでしょうか。
そのことは初めて訪問した時のブログにも書きましたが、
すべてわが友・珠ちゃんのお導きなのです。

珠ちゃんは1987年に上海へ留学しました。
その一年の間に私は会社勤めをしていたにも関わらず、
4回も遊びに行き、
89年に私が仕事を辞めて語学学校へ行くまでの2か月近くを
一緒に旅しました。
香港⇒上海⇒昆明⇒大理⇒西双版納⇒南寧⇒広州⇒香港と周ったのですが、
南寧に行く前に1泊だけ貴陽(貴州の州都)に寄りました。
しかしその時の私たちには貴州と縁がなかったようで、
寒くてあまり愉快ではない思い出しか残してくれませんでした。
そこで1泊で切り上げてさっさと南寧に逃げ出したのです。
私はそれきり一度も足を踏み入れる機会がありませんでした。
あの時、太陽が輝き、美しい刺繍の民族衣装に出会っていたら…
(滅多に太陽が顔を見せないので「貴陽」と名付けられたのですが)

しかし珠ちゃんは私とあまり旅行に行かなくなってから、
頻繁に少数民族の地に足を運んでいました。
そして刺繍ものも買い込んでいました。
なんと北京・佐藤家のセレクトショップM’sでも買い物をしていたのです。

残念なことに珠ちゃんは2010年の8月に若くしてこの世を去りました。
一緒に「苗族刺繍博物館」に来られなかったのが心残りと
初対面の時に瑞代さんに話したら
「あら、きっと一緒に来てますよ!」と答えてくれましたっけ。

※東京での展示会出品に伴い、11月~12月中旬?(返却後の展示再開)迄、
常滑の刺繍博物館は休館です。

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