13日から始まったティモールテキスタイル岡崎さんの
「甦る西ティモールの手仕事」展
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「紐、どうするの?」
西ティモール、アトニ・メトの女性たちと紐づくりをはじめたばかりの頃、よく聞かれました。
これら綴織り、緯捩りなどの技法を用いた美しい紐は本来男性の檳榔袋”アルック”の紐として織り継がれ、紐だけだと”アウル アイサフ”と呼ばれます。それは”檳榔袋の紐”を意味する彼らの言葉。
袋のない檳榔袋の紐、さてさて皆さんは
「紐、どうしますか?」
その前日12日に対談があると知って行ってきました。
対談のテーマは「一本の紐から見える民族文化」です。
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対談の相手は岩立フォークテキスタイルミュージアムで、
昨年9月まで21年に渡って学芸員をされていた廣田繭子さん。
現在はテキスタイルキュレーターとして
世界染織 月かげを主宰されています。
もうこのお二人の対談というだけで、わくわくです。
対談の予約は6月1日からはじまりましたが、
午前午後各20人という席は一日で埋まってしまったそうです。
(抽選には弱いけど先着順には強い私です♬)
さて会場は京橋のギャラリーを閉めてしまわれてから、
アートスペース繭さんが展示の時だけ借りているという
台東区駒形にあるスペースモス。私は今回初めて伺いました。
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エレベーターで6階にあがると、そこは紐の世界でした。
こんなにたくさんの紐に囲まれてお話は始まりました。
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「もう古いものはないんです」と語り始めた岡崎さん。
西ティモールの岡崎さんが通っている地区では、
もともと仕事として織りをしている人はいません。
すべて家族のための手仕事なのです。
30年現地に通ってさすがにもう古いものを
見つけることができなくなってしまったのですが、
それでもティモールに行きたい岡崎さんは
現地に行く理由を作るために、
自らに課していた「物はつくらない」という信条を捨てて、
新しいものを作る決意をしたのです。
では、なぜそれが紐なのか。
廣田さんは岩立フォークテキスタイルミュージアムの物販で
この西ティモールの紐を取り扱っていました。
「ミュージアムで展示されるものと矛盾が少ないもの」というのが、私の物販スペースへの誓い、常にその思いで仕入れをしていました。現代の手仕事の中からその誓いを約束してくれるものはそう多くはありません。そんな厳しい誓いを約束してくれたのがティモールの紐でした。紐の魅力はその細さにあると廣田さんは言います。
細いがゆえに文様を描けないという制約がある、
つまりそこには作り手の自我が入り込まない。
自然に則したものを身に着けていると救われる、
美しい布や紐を身にまとうことによって力をもらう、とも。
この日廣田さんはかつてラオスでものづくりをしていた谷さん・H.P.Eの
ベストを着て、ティモールの紐を首飾りとしていました。
まさに完全防備です。
廣田さんのお好みは、アトニ・メト地区の
あやとりのように手綜絖で織られたり、
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小型の簡易的な綜絖で織られた細い紐のようです。
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インスタグラムに載った写真を見ると、
8本しか(笑)持っていないという紐はどれもそのタイプのものでした。
岡崎さんの作っている紐にはもう一種類、モロ地方で織られている、
綴れ織りや捩り織りの文様のあるタイプの紐があります。
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モロ地方の人々はかつて支配階級であったので、
文化として文様を持っているのだそうです。
こちらでは大きなフレームに経糸を張って、
色とりどりの糸で模様のある紐を織っています。
基本的にどちらの紐も、経糸は岡崎さんが日本から持参した
織り用の木綿の紡績糸を、信頼できるリーダーに渡して、
現地で草木染めをしてもらっています。
緯糸には現地で手紡ぎされた糸を使っていますが、
時々、どう見ても草木染めではないと思われる色が
混じることもあるようです。
そんなときには絶対にダメとは言わないけれど、
正直に申告してほしいと伝えているそうです。
知らないと紐を買ってくれる人に嘘をつくことになってしまうから。
いかにも岡崎さんらしい考えだなぁと思いました。
今回の展示を通して、民族内ではすでにその役割を失ってしまった美しい紐を、新たな解釈と需要によって外部の人間が関わり作ることで発生する問題と可能性、そしてその意味をみなさんと考える機会になると嬉しいです。
これまでは、すでにそこにあるものを探していたけれど、
新しく作るということは、他民族の中に入り込むということ。
後々、「いい紐作ったね~」と言ってもらえるようなものを
作らなければならない。
ある時、お客さんからもっと長い紐を作れないかと聞かれて、
(真田紐のような使い方をしたいとの希望で)
ティモールの人々に相談したら、
そんな長い経糸をどこに張ろうか、とあたりを見回して、
そんな空間がないから無理と言われた。
そのことを聞いた民族学の方から、自分たちで考えるのならいいけれど、
教えてはいけない言われたそうです。
「合理性を持ち込んではいけないのね」と廣田さん。
もしかしたら次回「やってみたらできたよ」って
ロール状の紐を手渡されることになるかもしれませんけど。
いつだったか、岡崎さんがティモールでは腰機だけで、
高機はないという話をしていた時、それを聞いた方が
「高機を持ちこんだらもっと早くたくさん織れるのに」と言うので、
「そんなに早くたくさん織る必要があると思っていないのでは」と
思わず口を挟んでしまいましたが、つい効率に走る日本人としては、
新たなものを作ることの難しさを考えてしまいます。
それでも廣田さんからのリクエストで、
経糸も緯糸も手紡ぎ糸で織った紐を作り始めたところだそうで、
たしかに、かつて紡績糸が入ってくる前は、全部手紡ぎ糸だったわけで、
これは試してみる価値のあることだと思いました。
ただ最初の試みとして出来上がった経緯ともに手紡ぎの紐は、
フレームから外した途端、くるくると捩れてしまいました。
まだ始まったばかりで、これからも続けますというので、
とても楽しみです。
ところで今回初めて知ったのですが、
ティモールでは綿花の栽培はしていないのだそうです。
すべて自生している野生の綿を採ってきて紡いでいるとのこと。
仕事ではないので、そんなに大量の綿は必要ないのです。
そこにある分だけの綿から紡いだ糸で、
家族に必要な布を織る、そういう世界なのです。
「甦る西ティモールの手仕事」展

「紐、どうするの?」
西ティモール、アトニ・メトの女性たちと紐づくりをはじめたばかりの頃、よく聞かれました。
これら綴織り、緯捩りなどの技法を用いた美しい紐は本来男性の檳榔袋”アルック”の紐として織り継がれ、紐だけだと”アウル アイサフ”と呼ばれます。それは”檳榔袋の紐”を意味する彼らの言葉。
袋のない檳榔袋の紐、さてさて皆さんは
「紐、どうしますか?」
その前日12日に対談があると知って行ってきました。
対談のテーマは「一本の紐から見える民族文化」です。

対談の相手は岩立フォークテキスタイルミュージアムで、
昨年9月まで21年に渡って学芸員をされていた廣田繭子さん。
現在はテキスタイルキュレーターとして
世界染織 月かげを主宰されています。
もうこのお二人の対談というだけで、わくわくです。
対談の予約は6月1日からはじまりましたが、
午前午後各20人という席は一日で埋まってしまったそうです。
(抽選には弱いけど先着順には強い私です♬)
さて会場は京橋のギャラリーを閉めてしまわれてから、
アートスペース繭さんが展示の時だけ借りているという
台東区駒形にあるスペースモス。私は今回初めて伺いました。

エレベーターで6階にあがると、そこは紐の世界でした。
こんなにたくさんの紐に囲まれてお話は始まりました。

「もう古いものはないんです」と語り始めた岡崎さん。
西ティモールの岡崎さんが通っている地区では、
もともと仕事として織りをしている人はいません。
すべて家族のための手仕事なのです。
30年現地に通ってさすがにもう古いものを
見つけることができなくなってしまったのですが、
それでもティモールに行きたい岡崎さんは
現地に行く理由を作るために、
自らに課していた「物はつくらない」という信条を捨てて、
新しいものを作る決意をしたのです。
では、なぜそれが紐なのか。
廣田さんは岩立フォークテキスタイルミュージアムの物販で
この西ティモールの紐を取り扱っていました。
「ミュージアムで展示されるものと矛盾が少ないもの」というのが、私の物販スペースへの誓い、常にその思いで仕入れをしていました。現代の手仕事の中からその誓いを約束してくれるものはそう多くはありません。そんな厳しい誓いを約束してくれたのがティモールの紐でした。紐の魅力はその細さにあると廣田さんは言います。
細いがゆえに文様を描けないという制約がある、
つまりそこには作り手の自我が入り込まない。
自然に則したものを身に着けていると救われる、
美しい布や紐を身にまとうことによって力をもらう、とも。
この日廣田さんはかつてラオスでものづくりをしていた谷さん・H.P.Eの
ベストを着て、ティモールの紐を首飾りとしていました。
まさに完全防備です。
廣田さんのお好みは、アトニ・メト地区の
あやとりのように手綜絖で織られたり、

小型の簡易的な綜絖で織られた細い紐のようです。

インスタグラムに載った写真を見ると、
8本しか(笑)持っていないという紐はどれもそのタイプのものでした。
岡崎さんの作っている紐にはもう一種類、モロ地方で織られている、
綴れ織りや捩り織りの文様のあるタイプの紐があります。

モロ地方の人々はかつて支配階級であったので、
文化として文様を持っているのだそうです。
こちらでは大きなフレームに経糸を張って、
色とりどりの糸で模様のある紐を織っています。
基本的にどちらの紐も、経糸は岡崎さんが日本から持参した
織り用の木綿の紡績糸を、信頼できるリーダーに渡して、
現地で草木染めをしてもらっています。
緯糸には現地で手紡ぎされた糸を使っていますが、
時々、どう見ても草木染めではないと思われる色が
混じることもあるようです。
そんなときには絶対にダメとは言わないけれど、
正直に申告してほしいと伝えているそうです。
知らないと紐を買ってくれる人に嘘をつくことになってしまうから。
いかにも岡崎さんらしい考えだなぁと思いました。
今回の展示を通して、民族内ではすでにその役割を失ってしまった美しい紐を、新たな解釈と需要によって外部の人間が関わり作ることで発生する問題と可能性、そしてその意味をみなさんと考える機会になると嬉しいです。
これまでは、すでにそこにあるものを探していたけれど、
新しく作るということは、他民族の中に入り込むということ。
後々、「いい紐作ったね~」と言ってもらえるようなものを
作らなければならない。
ある時、お客さんからもっと長い紐を作れないかと聞かれて、
(真田紐のような使い方をしたいとの希望で)
ティモールの人々に相談したら、
そんな長い経糸をどこに張ろうか、とあたりを見回して、
そんな空間がないから無理と言われた。
そのことを聞いた民族学の方から、自分たちで考えるのならいいけれど、
教えてはいけない言われたそうです。
「合理性を持ち込んではいけないのね」と廣田さん。
もしかしたら次回「やってみたらできたよ」って
ロール状の紐を手渡されることになるかもしれませんけど。
いつだったか、岡崎さんがティモールでは腰機だけで、
高機はないという話をしていた時、それを聞いた方が
「高機を持ちこんだらもっと早くたくさん織れるのに」と言うので、
「そんなに早くたくさん織る必要があると思っていないのでは」と
思わず口を挟んでしまいましたが、つい効率に走る日本人としては、
新たなものを作ることの難しさを考えてしまいます。
それでも廣田さんからのリクエストで、
経糸も緯糸も手紡ぎ糸で織った紐を作り始めたところだそうで、
たしかに、かつて紡績糸が入ってくる前は、全部手紡ぎ糸だったわけで、
これは試してみる価値のあることだと思いました。
ただ最初の試みとして出来上がった経緯ともに手紡ぎの紐は、
フレームから外した途端、くるくると捩れてしまいました。
まだ始まったばかりで、これからも続けますというので、
とても楽しみです。
ところで今回初めて知ったのですが、
ティモールでは綿花の栽培はしていないのだそうです。
すべて自生している野生の綿を採ってきて紡いでいるとのこと。
仕事ではないので、そんなに大量の綿は必要ないのです。
そこにある分だけの綿から紡いだ糸で、
家族に必要な布を織る、そういう世界なのです。