6月26日から始まっていたアトリエKinamiの企画展「夏の愉しみ」に
「青土は7月3日から参加です」と青土・薫さんからDMいただきました。
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この大麻の帯は越中のおばあちゃんたちが残した糸なので、
大麻のことが分かる人のところへ行って欲しいなと思います。
昨年末にお見せしたものですが、もう一度見ていただけたら
うれしいです。私の顔も。
もう半年以上も前のことになりますが、昨年の12月のある日、
所用で上京された薫さんから「津田さんの個展一緒にどう?」と
お誘いを受けたのですが、残念ながら東京は遠く涙をのみました。
すると「見せたいものがあるのよ」とおっしゃるので
帰りに小田原で途中下車していただいてお会いしました。
その時見せていただいた帯が三越にやってくるというお知らせでした。
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薫さんからの「出頭要請」ということですから、行かないわけにはいきません。
下地さんの布を見てから三越に向かいました。
この帯は3年くらい前に、青土さんが越中布を調べに行った時に、
旧麻問屋 舟岡商店の最後の当主であった舟岡桂子さんから帰り際に
「織ってみますか?」と手渡された越中布の大麻の糸から産まれました。
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すでに布としての需要はなくなっていたころに、
ただただ苧績(う)みを生きがいにしていたという
近在のおばあちゃんたちから買い取った糸です。
舟岡桂子さんはこのおばあちゃんたちの生きがいを奪ってはいけないと、
父から家業を受け継いだといいます。
やがてそのおばあちゃんたちも、一人また一人と亡くなって、
越中布の主な使い道であった蚊帳や幕、畳の縁等の需要も激減するに及んで、
桂子さんは舟岡商店の暖簾を降す決断をしたといいます。
手渡された大麻の糸はおばあちゃんたちによって丁寧に績まれ、
30年以上経った今もその輝きを失ってはいません。
もともとの繊維は野州麻(栃木)です。
この糸は日本人の手で布にしたいと青土さんは思いました。
(青土さんは中国でも布作りをされているので)
糸は撚りのかかっていない状態で「緯糸用で5疋分」とのこと。
明治以降の越中布は経糸は紡績糸の苧麻、緯糸に手績みの大麻でした。
しかしそこは青土さんですから、
経糸も緯糸もこの大麻糸で織ると決めます。
そしてここから青土さんの奮闘が始まります。
まずは糸を二本撚りにして八寸の帯にすることにしましたが、
手績みの糸に撚りをかけてくれるところはと、越後に持ち込み、
そのまま越後で「高機」で織ってもらいました。
しかしやはり高機では経糸が切れてしまいます。
それでも根気よく繋いで3本織ってもらいました。
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この布も私には十分美しいと思いましたし、
切れた経糸をつないだ痕も模様のようで面白いと思いました。
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糸を手渡してくださった舟岡さんに織りあがった帯を献上すると、
たいそう喜んでくださって、さらなる糸を手渡されたとか。
しかし何事も最上のものを目指す青土さんが
この結果に満足するはずはありません。
やはりこれは「腰機」で織らねばと思いましたが、
この糸を腰機で織れる人がいません。
そこで思いだしたのが「錘機:おもりばた」です。
青土さんは以前に沖縄で見つけてもらった「錘機」を1台、
かの地に確保してあったのです。
そこで沖縄で「錘機」で織れるひとを探してもらい、
今度は経糸が切れることは無く、美しい布になりました。
この布は、二本撚りではなく一本撚りで「錘機」で織った九寸帯地です。
規格:巾0.36m x 長さ5.3m 重さ348g
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日本の大麻布らしい優しい透け感が魅力です。
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奇跡のような出会いから産まれた、純国産の大麻の帯。
その美しい布をぜひご覧になっていただきたいと思います。
じつはもう一枚、中国の極薄苧麻の着尺の布も展示販売されています。
こちらの布についてはまた改めて書いてみようと思います。
*アトリエKinamiの企画展「夏の愉しみ」
7月9日(火)まで。日本橋三越本館5階スペース#5にて。
青土・橋本薫さんは全日在店。たっぷりお話が聞けますよ。
「青土は7月3日から参加です」と青土・薫さんからDMいただきました。

この大麻の帯は越中のおばあちゃんたちが残した糸なので、
大麻のことが分かる人のところへ行って欲しいなと思います。
昨年末にお見せしたものですが、もう一度見ていただけたら
うれしいです。私の顔も。
もう半年以上も前のことになりますが、昨年の12月のある日、
所用で上京された薫さんから「津田さんの個展一緒にどう?」と
お誘いを受けたのですが、残念ながら東京は遠く涙をのみました。
すると「見せたいものがあるのよ」とおっしゃるので
帰りに小田原で途中下車していただいてお会いしました。
その時見せていただいた帯が三越にやってくるというお知らせでした。

薫さんからの「出頭要請」ということですから、行かないわけにはいきません。
下地さんの布を見てから三越に向かいました。
この帯は3年くらい前に、青土さんが越中布を調べに行った時に、
旧麻問屋 舟岡商店の最後の当主であった舟岡桂子さんから帰り際に
「織ってみますか?」と手渡された越中布の大麻の糸から産まれました。

すでに布としての需要はなくなっていたころに、
ただただ苧績(う)みを生きがいにしていたという
近在のおばあちゃんたちから買い取った糸です。
舟岡桂子さんはこのおばあちゃんたちの生きがいを奪ってはいけないと、
父から家業を受け継いだといいます。
やがてそのおばあちゃんたちも、一人また一人と亡くなって、
越中布の主な使い道であった蚊帳や幕、畳の縁等の需要も激減するに及んで、
桂子さんは舟岡商店の暖簾を降す決断をしたといいます。
手渡された大麻の糸はおばあちゃんたちによって丁寧に績まれ、
30年以上経った今もその輝きを失ってはいません。
もともとの繊維は野州麻(栃木)です。
この糸は日本人の手で布にしたいと青土さんは思いました。
(青土さんは中国でも布作りをされているので)
糸は撚りのかかっていない状態で「緯糸用で5疋分」とのこと。
明治以降の越中布は経糸は紡績糸の苧麻、緯糸に手績みの大麻でした。
しかしそこは青土さんですから、
経糸も緯糸もこの大麻糸で織ると決めます。
そしてここから青土さんの奮闘が始まります。
まずは糸を二本撚りにして八寸の帯にすることにしましたが、
手績みの糸に撚りをかけてくれるところはと、越後に持ち込み、
そのまま越後で「高機」で織ってもらいました。
しかしやはり高機では経糸が切れてしまいます。
それでも根気よく繋いで3本織ってもらいました。

この布も私には十分美しいと思いましたし、
切れた経糸をつないだ痕も模様のようで面白いと思いました。

糸を手渡してくださった舟岡さんに織りあがった帯を献上すると、
たいそう喜んでくださって、さらなる糸を手渡されたとか。
しかし何事も最上のものを目指す青土さんが
この結果に満足するはずはありません。
やはりこれは「腰機」で織らねばと思いましたが、
この糸を腰機で織れる人がいません。
そこで思いだしたのが「錘機:おもりばた」です。
青土さんは以前に沖縄で見つけてもらった「錘機」を1台、
かの地に確保してあったのです。
そこで沖縄で「錘機」で織れるひとを探してもらい、
今度は経糸が切れることは無く、美しい布になりました。
この布は、二本撚りではなく一本撚りで「錘機」で織った九寸帯地です。
規格:巾0.36m x 長さ5.3m 重さ348g

日本の大麻布らしい優しい透け感が魅力です。

奇跡のような出会いから産まれた、純国産の大麻の帯。
その美しい布をぜひご覧になっていただきたいと思います。
じつはもう一枚、中国の極薄苧麻の着尺の布も展示販売されています。
こちらの布についてはまた改めて書いてみようと思います。
*アトリエKinamiの企画展「夏の愉しみ」
7月9日(火)まで。日本橋三越本館5階スペース#5にて。
青土・橋本薫さんは全日在店。たっぷりお話が聞けますよ。